Wyrd * TSUNAGIYA∞413

思うことブログ。私のつぶやき。活動のことなど。

Posts tagged ‘家族’

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これは、時々思っていたけど、昨年強く思ったこと。そして、今もどこかで思っているのだけど、決断できない自分がいることを知っている。ここに勇気を出せたら世界が変わるんだろうとも確信できているけど、依存的な部分が抜けなくて、まだ勇気を踏み出せない。ここももう少し時間がかかりそうだ。その前に私の心が悲鳴をあげないといいけど(すでに挙げているかもしれないけどね)それとね。昨日思ったのが、どうしても無意識の部分に突破できない見えない壁があるのだ。それが何なのかわからないので、そこがまだまだ未開の地(笑)だけどそこまで見つけ出せた私もすごいっ!(っと自分で自分をほめてやる(笑))いや、まぢで。なぜそこを見て見ぬふりしてたんだろう。わかったつもりでいたんだろうって思ったけど、ここまでくるストーリーが必要だったことにも気づけたし。最初からここに気づいていたならば、本当に理解することはなかっただろうね。まだ理解はしていないけど、見つけたというすっきり感がなんとも言えなかったな。一瞬だったけど。ああ。それからね、ずっとこれもなんとなく思ってたことだけど。子どものころから息を吸うと、どこかが違和感あるのよね。痛い手前みたいな感覚。痛くはない。でも痛い手前(笑)肺なのか、胃なのか、心臓なのか。もしかしたら、血圧高いのそこらへんに問題が?いや、でも水銀計測では問題ないし。。とかいろいろ考える。確かに、運動してしんどくない状態なのに、呼吸が狭まる感じで、肺に(あ、やっぱり肺なのか?笑))空気が行くのが狭いようなイメージに近いかも。でも部位がよくわからない。いつもがん検診の時の肺のレントゲンでは異常ないんだよなぁ。。。。ちなみにずっと違和感あるのよ。子供のころから。でもそれが当たり前だったら気づかないでしょう?そういうもんなんだって思ったら当たり前なんだもんね。結局当たり前になって気づかないということが誰しも多々あるのだよね。それって無意識の部分だったりするし、わかったふりだけして見過ごしているということでもあるんだね。だから放置状態(笑)特に私みたいに頸椎ヘルニアもそうだけど、幼いころからそれが当たり前の状態であれば、あえて気づかないということだ。あ、気づく人は早く気づいているとはおもうけどね(苦笑)ランドセルが肩に食い込んだように吐き気までもよおすように、きつくてつらかったので、学校では私はランドセルをつかわないでいいように許可してもらった。今になって、それが頸椎ヘルニア(しかも珍しく中に飛び出てる方)だとわかった。それは中にでるのはもうどうしようもないのよね。。しょうがないか、赤ちゃんの時から頭からコンクリートの上に何度も落とされて(笑)壁で頭打たれたからね(笑)って言ったら、親に問題あるみたいだけど。いや、問題ありだけど(うちの母親(笑))本当にね、悪気はないの。うちのおかん。一つのことしか集中できなくてね。だからすぐ私をおぶってることも、抱っこしていることも、次の瞬間忘れてしまうんだ。だからしょうがないんだ。例えば目的が、●●の場所へ行く。となると、もうそこに行くことに集中して、私を負ぶっていても、付いた瞬間そのドアが低いと自分の身丈だけでかがむから、私はしょっちゅうコンクリートの壁で頭打ってた(笑)まぁまだ柔らかい頭だったからどうにか無事だったんだろうけど。私も実はそれに似てると思う。この前も書いたけど、数が数えきれない。多分。それと同じような感じ。母親譲りなのだろうね。本当に、いろんなことがあったおかんだけど、私も鍛えられたし。そのおかげでいろんな生きていく術を身に着けた気がする。でももうその呪縛も外す時が来た気がする。ずいぶんと長くかかったけど。一人の人間としてみることができるようになったこと。それぞれの生き方があったということ。母親というルールに自分が当てはめてた枠をはずせたこと。親はこうあるべき、母親はこうあるべきからルールをはずしたこと。人を一人養っていくことがどんなに大変かということ。どんな状態であれ、生かしてくれていたこと。感謝すべきことはまだまだたくさんあったはず。今だから気づけたこと。何より、私自身が自分で自分を幸せにすればいいということ。誰のせいでもない。生きることは正直私にとって何の意味があるのか、いまだにわからないし、なんのために生きてるのかもまったくもってわからない。でも今目の前にあることに、目を向けて直視していけるようになったことから、きっとその辺の意味が自分なりに理解できることができてくるのだろうともなんとなくそんな気すらした。自分が大事に思う人がいるなら、それと等しく自分もそれくらい大事に思ってるってことだと思う。無意識である部分。”念ずれば必ず叶うそれはどんな形でやってくるかわからないしいつやってくるかも。そして自分が思った通りの方法ではないということ” なのだ。どのようにその意味をとらえ、欲から外れ、自分のために向き合うことができるのか、日々考えていく。それは私なりの方法。いつまでも向き合わないなら単に先延ばしするだけ、でもこれは強制的にするものではない。タイミングが必要。それに気づけるかどうかは、思考の転換と、エゴを入れないこと。できない理由を探してばかりだといつまでたってもしない。まずはできることを探すこと。先ばかりを見ていたら、足元すっからかん(笑)結果なんて変わっていくのが当然。その時々で自分が好きな選択をしていくこと。心が喜ぶ方を。そうわかっているのに、今はまだ何かが足りなくて決断できません(笑)でも、それ以外はいつもそうやって自分のことを自分のために思っています。

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愛犬もさお。いやマロン様がもさおになっていたので、ずっと気になっていたのですが、いろいろ用事もあったので、こなそうと思ったけど、1日がかりでしようと思ってたのでお休みをいただきましたぁ。

マロン様。もさおから脱出。

最近ね、つれていくときにね、マロン用のベッドにいつも乗せてつれていくんだけど、

出発してすぐから、う●ちもらしちゃうの、今日も散歩に軽く先に連れていってから、2回済ませたんだけど、

それでもね。。それと、迎えに行った帰りは、いつもおうちまでの距離(結構ある)は興奮して外を見てたんだけど、

もうね、最近はすぐベッドで本気寝してしまうの。

そういうの見るとね、やっぱり老いはきてるのかなぁ。とか。

帰りにちょっと切なくなる。でもね、家の近くに来ると寝ていても気づくようで(どういう基準で判断しているのか不思議なんだけど)ムクっと起き上がってそわそわ外を見始める。不思議~~~(笑)

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そんなマロンさんも、トリマーさんの前ではちゃんとカメラ目線なのね(私には絶対しない(笑))

こうやって撮影した画像を送ってきてくださるのもうれしいサービス。そしてLINEで予約とれるのもありがたい。

犬の美容室トップ

https://ameblo.jp/dogtop/

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baba2今日は起きたら雪景色でした。今年は本当に冷える。今HPを移行させているのですが、そういえば昨年パソコンリカバリ時にデータを全部外付けHDDに移行させていたので、写真やらなんやら探すのが一苦労(笑)いつも作業してたフォルダの場所がなくて全部HDDに行ってるもんだから、フォルダ何に入れたっけとか探すところから始めてつかれてやめるっていう悪循環。でも、そうこうしていると懐かしい写真が出てきて(片付けの時に手紙や写真が出てきて読みふけって終わるってのと一緒(笑))見入っていたら、あっという間に時間がたってしまうという。ばーちゃんっこだったらしい私は、ばーちゃんによく似ているらしい。ばーちゃんは私が小学校2年生のころか3年生くらいでなくなった。今思った、私そういえば顔をまじまじとみたことなかった。この写真。というかばーちゃんとの記憶は、言葉のやりとりとか断片的に思い出しているだけで、ほぼ覚えてないけど、存在だけは感じたままだ。そうそう、それが私の癖だ。って思い出した。シルエット的にしか、覚えてなくて、ばーちゃんの顔をまじまじみたのは30年以上たって今の今かもしれない。本人ではなくて、この写真で今よく見たのかもしれない。昔8トラック盤のカラオケがうちにあって、それでばーちゃんがよく「岸壁の母」を歌っていたのを思い出した。保育園児ながら何度も聴かされるその歌は、タイトルをいまだに覚えておくほど強烈だったのかもしれない(笑)このばーちゃんは父方の祖母。広島に引っ越してから、先に来ていたばーちゃんたちとは、しばらくして一緒に住むようになりました。やっぱり私は幼少期からワンクッションおいて人と付き合う癖があったんだろうなと今思い出しながらもそう思う。ばーちゃんの畑仕事手伝いながらも、野蒜の取り方や、いろいろ教えてもらった気がしたんだけど、それでもなんでかその思い出というより、野蒜のことを覚えている割合が高い。だからその時ばーちゃんが、どんな姿で、どんなふうに畑仕事していたという記憶は全くなくて、そこでもただ存在を感じつつ、若干客観的な他人事のように、畑に植えたものだけが食べれるわけではないと知ったことに感動したような気がする。たぶん、当初からあんまり人に興味がなかったのだ(というような言い方の方がわかりよいかも。)ばーちゃんは、郵便局の清掃の仕事していた。ばーちゃん若くして亡くなった気がする。じーちゃんはね、父が中学校の時に亡くなったらしいので、当然あったことはないけど、存在だけではお会いしたことがあります(笑)向こうからの(笑)ミディアムシップでね。

どっちかというと今までいた動物たちの顔の方がよく覚えているかもしれない(笑)しかし、ばーちゃんのインパクトがあるのは、どうしても母方のばーちゃんのほうが印象が強い、顔も思い出も覚えているのは、母方のばーちゃんだ。結局、一緒に住んでいたばーちゃんと似てるというのは、その辺なのかもしれない、客観的に接するってところが(笑)

しかし、小さいころから黒目が濃いな。それが嫌だったんだった、写真撮ると必ず一人だけ目が真っ黒の状態で写る。学校の集合写真とか特に!一人だけ真っ黒。なんでなのかなぁ。。。
今頃になってね、心から子どものころのこと思い出したり、家族という人たちのことを思い出したりしている。それが今感情が現実になっている感じ。置き去りにしてきたその時の感情がね、ひとつひとつの存在を確認してるようなそんな日々でございます。今頃(笑)見て見ぬふりをしていた自分の中の感情と向き合い、直視する。

ばーちゃん、今頃ですが、いたずらっ子で、悪ガキんちょばっかりしてごめんなさい~(笑)怒られて締め出された記憶しかありません(爆)しかも何をして怒られたのかも記憶にありません(肝心なトコ・・・)たしかに自分の家族が存在していたことをひしひしと感じてます。

 

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