pexels-photo-277013.jpeg

これは、時々思っていたけど、昨年強く思ったこと。そして、今もどこかで思っているのだけど、決断できない自分がいることを知っている。ここに勇気を出せたら世界が変わるんだろうとも確信できているけど、依存的な部分が抜けなくて、まだ勇気を踏み出せない。ここももう少し時間がかかりそうだ。その前に私の心が悲鳴をあげないといいけど(すでに挙げているかもしれないけどね)それとね。昨日思ったのが、どうしても無意識の部分に突破できない見えない壁があるのだ。それが何なのかわからないので、そこがまだまだ未開の地(笑)だけどそこまで見つけ出せた私もすごいっ!(っと自分で自分をほめてやる(笑))いや、まぢで。なぜそこを見て見ぬふりしてたんだろう。わかったつもりでいたんだろうって思ったけど、ここまでくるストーリーが必要だったことにも気づけたし。最初からここに気づいていたならば、本当に理解することはなかっただろうね。まだ理解はしていないけど、見つけたというすっきり感がなんとも言えなかったな。一瞬だったけど。ああ。それからね、ずっとこれもなんとなく思ってたことだけど。子どものころから息を吸うと、どこかが違和感あるのよね。痛い手前みたいな感覚。痛くはない。でも痛い手前(笑)肺なのか、胃なのか、心臓なのか。もしかしたら、血圧高いのそこらへんに問題が?いや、でも水銀計測では問題ないし。。とかいろいろ考える。確かに、運動してしんどくない状態なのに、呼吸が狭まる感じで、肺に(あ、やっぱり肺なのか?笑))空気が行くのが狭いようなイメージに近いかも。でも部位がよくわからない。いつもがん検診の時の肺のレントゲンでは異常ないんだよなぁ。。。。ちなみにずっと違和感あるのよ。子供のころから。でもそれが当たり前だったら気づかないでしょう?そういうもんなんだって思ったら当たり前なんだもんね。結局当たり前になって気づかないということが誰しも多々あるのだよね。それって無意識の部分だったりするし、わかったふりだけして見過ごしているということでもあるんだね。だから放置状態(笑)特に私みたいに頸椎ヘルニアもそうだけど、幼いころからそれが当たり前の状態であれば、あえて気づかないということだ。あ、気づく人は早く気づいているとはおもうけどね(苦笑)ランドセルが肩に食い込んだように吐き気までもよおすように、きつくてつらかったので、学校では私はランドセルをつかわないでいいように許可してもらった。今になって、それが頸椎ヘルニア(しかも珍しく中に飛び出てる方)だとわかった。それは中にでるのはもうどうしようもないのよね。。しょうがないか、赤ちゃんの時から頭からコンクリートの上に何度も落とされて(笑)壁で頭打たれたからね(笑)って言ったら、親に問題あるみたいだけど。いや、問題ありだけど(うちの母親(笑))本当にね、悪気はないの。うちのおかん。一つのことしか集中できなくてね。だからすぐ私をおぶってることも、抱っこしていることも、次の瞬間忘れてしまうんだ。だからしょうがないんだ。例えば目的が、●●の場所へ行く。となると、もうそこに行くことに集中して、私を負ぶっていても、付いた瞬間そのドアが低いと自分の身丈だけでかがむから、私はしょっちゅうコンクリートの壁で頭打ってた(笑)まぁまだ柔らかい頭だったからどうにか無事だったんだろうけど。私も実はそれに似てると思う。この前も書いたけど、数が数えきれない。多分。それと同じような感じ。母親譲りなのだろうね。本当に、いろんなことがあったおかんだけど、私も鍛えられたし。そのおかげでいろんな生きていく術を身に着けた気がする。でももうその呪縛も外す時が来た気がする。ずいぶんと長くかかったけど。一人の人間としてみることができるようになったこと。それぞれの生き方があったということ。母親というルールに自分が当てはめてた枠をはずせたこと。親はこうあるべき、母親はこうあるべきからルールをはずしたこと。人を一人養っていくことがどんなに大変かということ。どんな状態であれ、生かしてくれていたこと。感謝すべきことはまだまだたくさんあったはず。今だから気づけたこと。何より、私自身が自分で自分を幸せにすればいいということ。誰のせいでもない。生きることは正直私にとって何の意味があるのか、いまだにわからないし、なんのために生きてるのかもまったくもってわからない。でも今目の前にあることに、目を向けて直視していけるようになったことから、きっとその辺の意味が自分なりに理解できることができてくるのだろうともなんとなくそんな気すらした。自分が大事に思う人がいるなら、それと等しく自分もそれくらい大事に思ってるってことだと思う。無意識である部分。”念ずれば必ず叶うそれはどんな形でやってくるかわからないしいつやってくるかも。そして自分が思った通りの方法ではないということ” なのだ。どのようにその意味をとらえ、欲から外れ、自分のために向き合うことができるのか、日々考えていく。それは私なりの方法。いつまでも向き合わないなら単に先延ばしするだけ、でもこれは強制的にするものではない。タイミングが必要。それに気づけるかどうかは、思考の転換と、エゴを入れないこと。できない理由を探してばかりだといつまでたってもしない。まずはできることを探すこと。先ばかりを見ていたら、足元すっからかん(笑)結果なんて変わっていくのが当然。その時々で自分が好きな選択をしていくこと。心が喜ぶ方を。そうわかっているのに、今はまだ何かが足りなくて決断できません(笑)でも、それ以外はいつもそうやって自分のことを自分のために思っています。